2020年2月20日(銭湯最終日)

scene at 0700-1200

  • 本日は奇襲攻撃さえなければ院生チームが飛来してくることはない。原稿を書くチャンス到来である。
  • ところが。原稿に立ち向かうも、頭が動かず。睡眠時間は十分、アルコール摂取量も少なめで整えたはずなのだが。体調という不安定要素勘弁しちくりー。
  • 唸っていたら院生氏1が飛来。飛んできたぞ、おぃぃぃぃっ!! 打ち合わせ後、試薬の調整。午前中が溶けていく。

ひるめしのもんだい

  • 手作りサンドイッチ(野菜コロッケ、チーズ、中濃ソース、マヨネ、ブラックペッパー)、コーヒー@備蓄より。
    • 野菜コロッケに期待していたら、単にグリーンピースがアホみたいに入っとるだけやんけー!

scene at 1200-2200

  • 昼休みの40分睡眠で体調はぐんぐんと回復。余勢を駆るべくモンスターエナジー青のカードを切る。
  • 原稿。Discussionのプロットを一気に書き上げた。
  • 院生女史が飛来。飛んでくるじゃんよ。来年度の動きについて打ち合わせ。
  • 1900、撤退。
  • チャリに乗り換えて銭湯へ。閉店の日がやってきた。一番風呂とまではいかないまでも、もう少し早く到着したかった。
  • 果たして。駐輪場がチャリで溢れかえっているのが見えてきた。予想通りに最終日はお祭り状態となっている。
  • 脱衣所の空ロッカーを探すのが大変なほど人が入っている。わたしが脱衣所に入るとあちこちから「よぉ、来たか!」「いよいよ終わりだな!!」と常連たちから声がかかった。いつも見ている人、かつて見たことのある人などなど。
  • それに加えて異変もあった。「いつも前を通るだけで、怖くて入れませんでした」とか「Facebookで閉店すると聞きました」とご主人に声をかけてくる最後の新参者たちだ。まぁこれはこれでアリだとは思う。
  • 熱い湯を頂くが、いつものようにはいかなかった。洗い場で順番待ちが発生しているのだ。この状態は見たことがない。結局は落ち着けない最後の入浴となってしまった。
  • 湯上がりの最後の脱衣所トーク。ご存知の通りに、上がりビールは、通常コンビニで飲んでいる。銭湯ではスーパードライしかないし割高になるからだ。しかし最後はここで飲んでいかなくては。代金250円を差し出すと、ご主人がニヤニヤ笑って「飲み放題だ、在庫を空にしていきな」と言ってそのまま250円を返してきた。やはりこうなるかwwww さらに「ヒゲの兄さん、今までありがとうな。持ってけ!!」とケロリン桶を差し出してくる。最後まで感傷的にはならないつもりだったが、いきなり目頭が熱くなってしまった。常連の証として銭湯の重要装備品であるケロリン桶を有り難く頂く。
    • ケロリン桶は数に限りがあるため、ご主人は明確に常連だけを選んで渡していた。先に書いたFacebook野郎が厚かましくも「洗面器を下さい」と言ってきたのに対しては「通ってから言いな。もう通えないけどな!!」と声を荒げて拒絶、常連客は大笑い、Facebook野郎は顔を真赤にして逃げていった。
  • 人生で一二を争う旨さのビールだった。350ml缶を二息で干して、乾杯のポーズで缶を掲げると常連たちから拍手されてしまった。在庫を空にしなくてはイケないので、すかさず次弾を開ける。
  • その後は約1時間ばかり飲みながら、常連たちとご主人で馬鹿トークや記念写真の撮影。明日からは、大手新聞社の4社を含めてかなりの数の取材に応じるそうで、ご主人はドヤ顔で記者の名刺を見せびらかす。その間にも次から次に最後の湯に入りに客が来る。
  • やがて名残惜しいが終わりの時間が来る。ここでは多くのものを学んだ。その中でも2つ。2つを記しておこう。1つは「幸せのカタチ」。もう1つは「ヒトとの繋がり方」。両方ともに陳腐すぎて呆れている読者さまもいるだろう。でも、そんな基本的なことさえも、わたしはこの歳になるまで身に付けていなかったのだ。
  • 最後にご主人と腕相撲式のハワイアンスタイルでがっつりと握手。わたしもご主人も、この地元で骨を埋めるだろうから。また、すぐに会えるだろう。その時まで、ほんの少しだけサヨナラだ。

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歴史を感じさせる建物。戦前の昭和から平成、令和と生き抜いた。なお、半年後にテナントビルとして生まれ変わるそうだ(マンションはやめたとのこと)。やっぱりぶっ壊しちゃうのね。

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木の天井。これだけでも相当な歴史的価値があるだろう。

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メッセージボード。ど真ん中に書かせていただいた。なお、これは昨日に撮影した状態。今日はぎっしりとメッセージが残されていた。写真を撮ろうとした時には、既に外されていた。

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お別れのポスター。創業83年と思い込んでいたが、創業77年の間違いでした。1943年に営業を開始か。太平洋戦争まっただ中、そしてわたしの実父が産まれた年だ。


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人力車の暖簾。この暖簾と灯りを見ただけで、癒やし効果があったものだ。

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屋号を記した看板。フォントが昭和です。

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裏口より。うず高く薪が積まれている。今になってようやく知ったのだが、この銭湯のボイラは重油ではなく薪で駆動していた。つまり、文字通りにご主人による「手作りの湯」だったのだ。重油と違って火加減はマニュアル式。ご主人の腕にかかっていた。

scene at 2200-2400

  • チャリの前かごにケロリン桶を乗せて、かたかたと音を立てつつ帰還する。サラバだ。

一隻眼

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カネでは絶対に買えないわたしだけの宝物。それは使用済みの汚い洗面器でした。

きっと何者にもなれないお前たちに告げる

  • 112点。ひとつの時代が終わったな。40歳代のほとんどを、この銭湯と共に過ごした事になる。どうやらまだまだシブトク生きるわたしは、次に何が来るか楽しみになっている。どんな出会いがあるだろう。いい出会いがありそうだ。