「くっ、いいぞ、当ててこい!私はここだ!」

2015年3月3日、アメリカ・マイクロソフト社の共同創業者であるポール・アレンが指揮する潜水艇は、シブヤン海の水深1000m付近に、巨大な亡骸を発見する。生前、秀麗でありながら強烈な殺気と生気に漲り(みなぎり)、人々に畏怖以外の何物も感じさせなかった彼女の身体は、細かい傷を無数に受け、変わり果てた姿となって71年ぶりの帰還を果たした。

戦艦・武蔵。大和型戦艦の2番艦にして、当時の最新テクノロジを満載して建造された「史上最強の戦艦のうちの1人」として呼声が高いが、これは主にミニタリーマニアよるものだ。多くの人々の声は「航空機の時代に作られた時代遅れの木偶の坊」というものであろう。しかし、この認識は高潔な彼女の生き様を汚すのに十分な誤った認識といえる。
広く知られていないことだが、当時の帝国海軍は太平洋戦争が勃発すると全く戦艦を建造していない(米軍は戦艦を作り続けた)。戦艦として設計された艦の多くは、航空母艦へ産まれ変わっている。武蔵も誕生したのは「戦前」なのである。この点において、帝国海軍は確実に時代を読んでいたが、帝国の体力すなわち工業力が追いつかず敗戦へ繋がっていった。
さらに、「太平洋戦争において戦艦の存在は無意味」であるという認識も大きい。では、なぜ勝利者たる米国は戦艦を建造しつづけたのであろうか? 前線にアイスクリーム屋を常設するほどの有り余った資源を無駄にしないため、ではない。戦艦の周囲の空を、敵の航空機が飛び回ることのない状態に保つ。つまり制空権確保の上での戦艦運用は「時代遅れの木偶の坊」から「立ちふさがる全てを粉砕する悪夢の顕現」へとその意義を正反対へ変える。

しかし、武蔵の上空には常に「五月蝿い毒蟲ども」が醜悪な羽音を立てて飛び回る世界しか残されていなかった。絶望的な戦局の中。武蔵とその随伴艦は、パラワン水道を抜けてシブヤン海へ航行していた。その最中に、米国機動部隊より発艦した艦載機群に補足される。一騎打ちにおいて敵の太刀をまともに受けても破れない重厚な装甲、そして敵を甲冑ごと一撃で斬り殺す豪剣も「ちくちくと皮膚に噛み付いて毒を注入する蟲たち」の前では無力だった。武蔵の豪剣、世に広く知られている必殺の46cm主砲三式弾が火を噴くが、蟲たちを追い払う「大きな棒」でしかなかった。必要なのは、棒ではなく殺虫剤であり蚊帳であり、さらにいえば毒蟲どもが発生しない環境を作ることだった。
美しかった彼女の皮膚は無数に喰い裂かれ、じくじくと血が流れていく。流し込まれた毒は、彼女を苛み、全身の自由を奪い、そこにさらに蟲どもが群がって針を突き刺す。再び、彼女の豪剣が周囲の空気を切り裂き、蟲どもを潰すが、潰した数以上の蟲を呼び込んでいった。爆弾命中44発、ロケット弾命中9発、魚雷の命中25本、総投下数161発中命中78発。これが、彼女の美しい身体に注ぎ込まれた「毒」の総数である。彼女を航空機の鎖で縛り付けて、はるか後方の絶対安全圏で「現代戦」を指揮していた米国機動部隊は、いたぶってもいたぶっても不死身の怪物のように立ち続ける彼女に、強い畏怖を感じていた。
1944年(昭和19年) - 10月24日、限りなく高潔で美しい武士は全身に刺し傷を受け、一騎打ちも切腹も許されずに、敵に膝を屈し、71年間の眠りにつく。

おかえりなさい、武蔵。今こそ、貴方の主砲を存分に撃ちあう、佳い夢を。