2017.2.20、地元大型書店にて購入、紙媒体。ゴールデンウィークが過ぎ去ろうとしている。この時期の我が国の気候は、この世の楽園と言っても過言ではないと思う。乾いた空気と程よい気温。木々は新緑、燕がすいすい舞う。都内でも感じる生命力の躍動。しかし、現実には容赦がないことを僕たちはもう知りすぎている。あと数日もすれば、金銭を得るために時間と自由を切り売りする日々が再開されるし、あと数週間もすれば乾いた空気はじっとりと湿気を帯びて肌に粘りつく高温とともに僕らを苛む。この生活は、日本という国でマトモに生きようとする限り死ぬまで続くことも知ってしまった。更に、この生活を真面目に勤め上げれば、ささやかな老後の幸せが完全に保証されているわけではないことも知ってしまった。

この忌まわしい生活から脱出する、通称・ドロップアウトを夢想したことのない人はいないだろう。全てをほおりだして、何処でもいいから遠くにいっちゃえ! 俺は自由だ!!
もちろん、ほとんどの人はドロップアウトしない。社会から逸脱するデメリットより、忌まわしい生活から得るメリットの方がどうやら大きいようだし、そして何よりも怖い・・・。かくして、人々はカヌーでユーコン川を旅するアウトドア紀行や、バイクに乗って腕時計を投げ捨てて走りだす映画を観ることで擬似ドロップアウトを体験してから、退屈で平穏な世界に帰還し、死んでいく。

本書「自作の小屋で暮らそう-Bライフの愉しみ-」は、ユーコン川に出奔したりイージーライダーになるよりは、かなり現実的なドロップアウトだ。冒頭で力強く定義され、最後まで貫かれるスタイルが副題となっている。「Bライフ」だ。Bライフとは「必要最低限の生活」。BライフのBはBasicまたはBabyishのBだ。必要最低限といっても、生き物として生きるための必要最低限ではない。現代の日本で人間らしく生きるための必要最低限だ。よって、サバイバル、完全自給自足、ナチュラルライフ、不潔な路上生活、貧困生活などなどではない。Bライフでは、好きなだけ睡眠をとる。好きなだけ読書をする。情報を得るためにインターネットを使う。コンビニで買物だってする。移動手段として、原動機付自転車保有する。そして、必要最低限の現金を得るためにしか働かないのである。筆者がこれだけの「必要最低限」を実現するために選んだ手段が、自作の小屋暮らしだった。

二束三文の原野の土地を広く買い取って、自力でログハウスを建てて暮らす。男どもには一定の割合で憧れる人が必ずいるだろう。金槌すらロクに握ったことのないという筆者が建てた本書の小屋は、ログハウスではない。建築面積10平米未満かつ建築物を土地に固定しない「箱」だ。よって、建物ではないのだ。初期の建築費用が増大するから10平米未満というのもあるだろう。しかし、最大の理由は建物とみなされると、無数の法的拘束力が襲いかかって、ありとあらゆる手段で税金を毟り盗られる事にある。
これまでの田舎暮らし本やナチュラルライフ本と異なり、法律を回避し時には利用して、現金の支出を極力抑える方法が具体的に数値でハッキリと記載されている点が本書の大きな魅力であり特徴だ。加えて、社会保障なども詳しい。僕が世間を知らなすぎるというのも大いにあるかもしれないが、収入によっては税金や保険料はほとんどかからないのだそうだ。例えば、国民年金は年間122万円以下の収入であれば免除されるばかりか、支給もされる。国民健康保険は7割免除されて、3割負担が使える。所得税と住民税はかからない。これらより試算された月の生活費は約2万円。65歳まで年間60日のアルバイトを行えば、それ以降は最低限の3万円/月の年金が貰えるばかりか、約840万円の貯金ができているそうだ。シュミレーションは、前述した通りにライフラインと衣食住を確保した上で、読書やインターネットを利用する必要最低限の生活から試算されている。

上記のBライフは試算だけではない。実際に、筆者が行って2017年現在で7年めに突入している。冒頭でBライフが定義されると、いよいよ山梨県の山林を購入して、自作の小屋の建設が始まる。ここからは、ワクワクのてんこ盛りで必要最低限の生活にまっしぐらである。材料は、ほとんどがホームセンターから購入、筆者の建築スキルは完全にゼロかつ筆者のみのぼっち作業、そして設計図すら用意しなかったという。ここでも、目からウロコがぽろぽろと落ちる。2x4工法(ツーバイフォー工法)という言葉は聞いたことがある方も多いだろう。この2x4工法でリビング3畳、キッチン1畳、トイレ1畳、ロフト5畳の小屋が建ってしまうのだから恐れ入る。
ライフラインの確保も、工夫と努力でどんどん整ってしまう。水は川と湧き水と公園から。下水の処理はお役所側が厳しくチェックするので入念に。畑に撒きコンポストトイレでクリア。電気はぺらぺらのソーラーパネル。これだけで、時間制限はあるものの冷蔵庫さえも駆動するという。もちろん、最新のテクノロジによって省エネ対策が施されているパソコン、スマホ、液晶TVは悠々と動かすことができる。
食生活においても、Bライフの定義は生きている。必死になって畑を作って自給自足を行うのではない。そんな事をする時間があるなら睡眠と読書に充てると筆者は言う。よって、食料は買ってくる。スーパーに置いてある商品の99%は嗜好品であり、必要最低限の物を選べば月の食費は10,000円ほどで美味しいものを腹一杯に摂取できるそうだ。ガスはもちろんカセットコンロ。風呂だって、ちゃんと入る。Bライフは路上生活ではないからだ。夏は川での水浴び、冬は近くの公共温泉(1回200円!)に入りに行く。腹一杯に食って温泉に浸かってから、星空とランプの下で眠気に耐えられなくなるまで読書。翌朝の起きる時間は、目が覚めた時間だ。昼食代を必死に削って、週1回の健康ランド料金760円を捻出している僕の経済はいったいどうなっているのだろう・・・。年収そのものは筆者の数倍は稼いでいるはずだが。

Bライフ、最高じゃないか! スタートするためにかかる金額が数値で示されているので、これはできそうだ! と思い込むのも無理は無いだろう。別に筆者のように単独でやらなくてもいい。僕だったら、キャンプツーリングの仲間たち4-5人に声をかければ賛同してくれる率は高いだろう。そうなると、いよいよもって現実味を帯びてくるじゃないか・・・。もちろん、本書を読んだほとんどすべての人はBライフに移行できないことを僕たちは分かっている。読み進めていく上で、何処で我に返って諦めてしまうか。これが人によって大いに異なるのも、本書の魅力の1つではないかと思う。僕は、文庫本の解説者も指摘していた以下のところで、Bライフは無理だと悟った。

「(食費は)月1万円であれば安泰だ。それに加えて、たとえばコーラが好きな人は財布や気分と相談しながらその都度100円支払えばいい。コーラが好きだからと言って最初から毎月3000円をコーラ代に計上して生活設計のすべてを考え、必ず毎日コーラが飲めるように自分自身を制御するとなると、コーラに支配されてしまう。そうしていろいろなものに支配されていくと、毎月必要なお金は膨れ上がり、不必要な生活水準を維持するためだけに働くことになり、結果、寝転がっていられなくなる。本当にコーラを楽しむためには、毎月1万円で食生活を築いてコーラと対等な立場に立つことが先だ」

コーラどころか、それよりも遥かに強い中毒性を持つビールや焼酎に支配されている僕は、この文章で打ちのめされてしまった。そして、さらに気がついてしまう。筆者は、たまに食するクッキー以外の嗜好品を一切嗜まないこと。家族を持たないこと。病気やけがを考慮していないこと。老化による肉体の衰えをシュミレーションの変数として組み入れていないこと。そして、山梨県の山林の自作の小屋で、独りで長期間に渡って必要最低限の生活をすることによる精神の変化について考察していないこと、だ。ただし、筆者はこうも語っている。「一生に渡ってBライフをしなくてもいいのだ。都会に帰ってもいいし、海外を放浪したければすればいい。身軽さが利点でもある」

本書は、流れるような独特の文章で綴られる現代日本に適応したマウンテンマンになるためのマニュアル本であり体験記であり、かつ物語でもある。端々に語れるBライフの精神は禅(ZEN)に通ずるようなものを強く感じる。筆者は、山梨県の小屋以外にも河原の一部を買い取って「別荘」を建てたりするなど活発にBライフを満喫しているようだ。続刊が大いに期待できる。読了後に、都会の路上生活者となった経験もある筆者・高村友也氏のプロフィールを見ると、こうあった。東京大学哲学科卒業、慶應義塾大学大学院哲学科博士課程単位取得退学。2017.03.01読了。