• 午後も深まってからライブ担当者がちらほらと時間差で現れて打ち合わせ。なぜバラけてくるのか。やや、何となく理由はわかるけどさw
  • 特にライブ中のアドリブについては厳禁ということである。担当者は、卑劣なるケチャ国の洗脳によってココロの奥深くに封印されているわたくしの熱い魂が覚醒して「アメリカ!! マザーファッカー!!!!」などとライブ中にジ・ハードを宣言するようなアドリブを心底恐れているらしく、gdgdと念押ししてマラッカ海峡方面へ去っていた。のだった。
  • その後も1時間ほど声帯を使ってのリハ。ちゃんと練習はしてますってば。
  • 日没頃、某会場入り。先ほどの担当者は、わたしがアロハとジーンズといういつもの格好で現れたので引きつったような表情を隠すことに失敗した。手にちゃんと紙袋を持ってるじゃろが。これから舞台衣装に着替えるんじゃ。
  • さらにさらに担当者氏は「ライブは扶桑語、ブリタニア語、カールスラント語のいずれでも大丈夫です。何語になさいますか」などと実にわざとらしく確認してくるのだった。恐らく、担当者氏はブリタニア語もカールスラント語も話せるのであろう。「ヲレは本来は、お前ぇなんかの世話係じゃねんだよ!!」というアッピルは確実に成功していると言えた。
  • ライブ開始。わたしは見事なまでの前座というやつで、不自由な扶桑語でヴォーカルをとった。その後は大御所2名が登場して、それぞれブリタニア語とカールスラント語でライブ。わたしは、手元にある同時通訳のマッシーンで遊んでおり内容なんかには全く興味が無いのだった。