恋と禁忌の述語論理 (講談社ノベルス)

恋と禁忌の述語論理 (講談社ノベルス)

2016.1.3、紀伊國屋書店ウェブストア(Kinoppy)にて購入、電子媒体。年上か、年下か。姉か、妹か。チキン or ビーフと同じく、誰もが聞かれたことのある好みの二者択一だろう。 僕は迷うこと無く年上の姉を選択するが、貴方ならどうするだろうか。
本書のヒロインである「硯(すずり)さん」は、若く美しい姉、ではなく若く美しい叔母である。二等親である姉よりも三等親である叔母の方が、禁断の匂いがはっきりと強まるのはなぜなのだろうか。

本書は、純粋なパズラーに分類される本格的ミステリでありながらも、硯さんという魅力的なヒロインを楽しむためのキャラ萌え小説という対立するであろう2つの分野を見事に融合させている一冊だ。探偵役の硯さんは、アラサーの独身。もちろん美女であり、しかし幼女のような天真爛漫さとおっとりさを併せ持つという、同性から見ると確実にいらつきの対象となり、異性から見ると最高の年上姉属性となるキャラクタだ。見た目は、清楚な大人の女性でありつつも少女のように拗ねてみせる。ロングの黒髪を背中まで伸ばし、生成りワンピースに麦わら帽子で素足。住処は北関東の農村にほど近い田舎町。部屋は、青畳に和箪笥に南部風鈴がりんとなる純和風の佇まいだ。ここで、彼女は家庭菜園を営みつつ、晴耕雨読を送っている・・・。ここまでだって、かなり盛り過ぎだ。しかし、本質はさらにこの上に積み盛られる。彼女は天才である。これは、ミステリの探偵役としてはごく当たり前の設定。聞いたことがないのが人間の論理構造を数学的に解析するという「数理論理学」という学問の天才だという事だ。

硯さん曰く、人間が論理的に考えるのに必要なのは、たった4つの論理記号であるという。その記号とは、「∧(かつ)」「∨(または)」「⇒(ならば)」「¬(否定)」。これらの記号で記述される命題、命題記号、論理式、真偽値、充足問題などなどを駆使して、何故か居合わせてしまう陰惨な殺人事件を快刀乱麻を断つが如く解決していく、のではない。ここで、また本書独特の世界観が盛られる。事件は既に解決済なのだ。その事件を解決したのは、これまた超個性的かつ魅力的な3人の名探偵たち。この名探偵たちの事件の解決を数理論理学で「答え合わせ」をしていく硯さんは、さながら超探偵と言うべき存在で君臨していく。

解決済みの殺人事件を硯さんの下に運んでくるのは、助手役の森帖詠彦。理系の大学生であり、若くて美しい叔母の硯さんに憧れを抱く甥っ子である。彼が事件のあらましというより全貌を語り、硯さんが数理論理学で答え合わせをする様は、進化版のアームチェア・ディテクティブだ。ただし、万人の読者が数理論理学を用いた答え合わせについていけるかというと、とてもそうとは言えない。むしろ、半分以上の読者が途中で理解を諦めることになるだろう。その難解さは、助手の詠彦くん曰くナイトメアモード。ミステリを解く上でネタバレにならない一例を挙げておこう。一番最初の初心者向けの充足問題がいきなりこれである。

【次の充足問題をとけ】
A. 私は風呂場にいる。
B. 私は蔵にいる。
C. 私は台所の戸棚の上にいる。
D. 私は家の中のどこにもいない。
論理式
(¬C⇒B)CでないならばB∧¬(¬A⇒B)AでないならばBではない∧(D⇒(A∧C))かつDならばAかつCは、真である。

これでもまだ悪夢は終わらない。硯さんの口からは難解な数理論理学の専門用語が雨あられと降り注いでくるし、その用語の解説などは殆どない。半分以上の読者は、自然に読み飛ばすか、本書を購入したことを後悔するだろう。だが安心して欲しい。作者はその辺りを心得ている。論理式で理解できない平凡の甥っ子の詠彦くん(=半分以上の読者)のために、天才数理論理学者の硯さんが時には優しく包み込むように、時には明るくからかうように喩え話で解説してくれる。こんな感じだ。

ココイチのカレーで言えば、この「論理公式」がベースのカレーで、あとは各種トッピングを追加していくようなものね。

「私は髪をツインテールにしようと思ったが、さすがにアラサーでツインテールはないのでやめた」これの公理は「A1. 私はアラサーである。A2. 私はアラサーである ならば ツインテールはない。ここから導かれる論理式は、Z)ツインテールはない。となるの。

読者は、この硯さんの喩え話による解説と先に述べた4つの論理記号、および事件を理解しようと考える姿勢で、数理論理学を用いた事件の答え合わせについていく事ができる仕組みになっている。研究者という職業につきながらも、感覚や直感で行動し論理的な考えを苦手とする僕が理解できたのだから、多くの読者は大丈夫だろう。

それでも理解できない、あるいは理解するのが面倒くさい読者には、さらなる救済措置が設けられている。事件は詠彦くんが硯さんの住まいを訪れるところから開始されるのだが、本題に入るまでに、たっぷりと硯さんの日常を堪能できるのだ。助手の詠彦くんは、数理論理学に対しては凡庸だが天然ボケが色濃いおっとりとした叔母に対しての突っ込みは中々に鋭い。それに対して、拗ねてみせたりさらにボケてみせたりする硯さんとの会話のコンビネーションは秀逸だ。この救済措置が、魅力的なキャラ萌え小説の成分となっているわけだ。

本書は、第51回メフィスト賞受賞作品というだけあって、これまで述べた通りに、数理論理学を駆使した新しいミステリの世界観が広がっている。また、ミステリをミステリとして解こうとするのではなく、物語として楽しむ事も十分にできる作品だ。作者が言う通りに、ミステリを抜きにした1つの小説としても優れている。さらに、その上を独り歩きしているのが、探偵役の硯さんというキャラクタだ。文章量の半分以上を数理論理学を用いた答え合わせに費やしているが、それでもなお本書をコミカライズすることは可能であると思う。それだけ、硯さんのキャラは立っている。2015年に発売以来、続編の情報は聞こえてこないが、是非ともシリーズ化して欲しい一冊だ。2016.3.26 読了。