2016.2.7、地元書店で購入、紙媒体。1人の作家が全く異なる分野の作品を執筆し、それぞれの分野ごとに高い評価を受けている、あるいはそれぞれの分野において熱烈なファンが存在するという事は、多くはないが珍しくもない事だと思う。それぞれの分野のファンは、作家YY氏のXX派と名乗る場合も多く、生物分類学上の亜種のようなものだ。わたしの偏狭な読書遍歴の中では、北杜夫のどくとるマンボウ派(エッセイ)と楡家派(純文学)や椎名誠のあやたん派(怪しい探検隊シリーズ)とアド・バード派(SF派)などが思い浮かぶ。作家によっては、文体そのものがガラリと変わってしまい、どちらかの分野を全く読む気になれないこともしばしばで、ファン同士の間で派閥が出現する原因の一つになっている。

本書、桜ほうさらの作者である宮部みゆきも全く異なる分野の作品を執筆し、それぞれの分野ごとに高い評価を受けている作家の代表格だ。もっとも彼女の場合は、得意とする分野が2つや3つではない。現代少年少女物、SFサスペンス、ファンタジー、社会派ミステリなどなど思い浮かべるだけでも4つ以上はある。そして、5つめに思い浮かぶのが本書が属する「時代劇」だ。僕は、長年にわたっての自称・宮部みゆきファンなのだが、どうしても読む気になれずに丸ごと放置していた最後の砦であった。
桜ほうさらを手に取るきっかけとなったのは、文庫版の表紙と装丁に一目惚れしたためだ。いわゆるひとつのジャケ買いである。上巻の桜色を少しポップにした春を感じさせる優しい雰囲気に癒され、下巻の夜桜をバックにした怪しい危険な雰囲気に惹かれる。この2つの対照的な表紙は、本書のみならず宮部ワールド全体の世界観を表しているといえよう。
宮部ワールドでの主人公は、何らかの不幸やハンディキャップを物語のはじめから抱え込んでいる場合が多い。しかし主人公は、周りの友人・知人の温かさで心のバランスをやじろべえのように調整し、破滅へ落ちてしまうことがない(上巻の表紙)。物語が進むに連れて、主人公には、何らかの事件が振りかかり何かを失うが(下巻の表紙)、これまた友人・知人の協力で解決し、元のバランスを得る「限りないグレーハッピーエンド」で物語は終焉していく(上巻の表紙+下巻の表紙)。心のバランス制御や事件解決の鍵となる人物は、友人・知人・動物であって、血の繋がった肉親は関与しないか極端な場合は敵に回ることもあるのが特徴の一つだ。本書でも、この「世界の理」は健在だが、これに江戸情緒、人情、風流が加わり、宮部時代劇が織りなされていく。

舞台は本所深川。時代は、侍が侍らしさを失いつつある江戸後期なのだろう。主人公の素浪人・古橋 笙之介が住まいの貧乏長屋から川べりの桜をぼんやり見ていると、桜の精を連想させる美少女をふっと目撃するところから物語が始まる。
この笙之介は、多くの時代劇の主人公と全く異なる雰囲気および独特なスペックを有しており、魅力的であると同時に苛々、やきもきさせる。時代劇の主人公で素浪人と言えば、剣術の達人と相場は決まっているではないか。ところが、笙之介の剣は、長屋の子供からも「笙さんだって、一応は二本差しなんだから、しっかりしてくれよぉ」と真顔で言われるほどの腕前だ。かと言って、頭脳明晰で策謀に長ける軍師タイプでもない。剣がからきしのために学問で身を立てようとしたものの、ぼんやりとした思考回路とのんびりした処理速度の彼の頭は事件解決には役に立たない。優しく穏やかすぎる性格で、人と人の関係に聡く気づく事がなく、現代劇のラブコメ主人公並に鈍い。
そんな「笙さん」こと笙之介は、字を書くことに秀でるという特殊スキルで事件の真相に迫っていく。字を書くといっても、書道家ではなく代書屋だ。現代のような高度な印刷技術が存在しない江戸時代。代書は、生活の糧を得ることもできるスキルだ。のんびりと貧乏長屋でその日暮らし、若くして昼行灯の素浪人。そんな笙之介だが、とてつもない不幸と深い心の傷を抱えて江戸で生活している事が序盤で明らかになる。不幸と深い心の傷は、彼が口を糊する技術「代書」によってもたらされたものだった・・・。

物語の冒頭で登場する桜の精が、本作のヒロインである仕立屋の一人娘、和香だ。桜の精を連想させるほどの美貌を持つ和香だが、顔半分は治癒することのない赤黒い痣に覆われているという重いハンディキャップを抱えている。顔半分を隠すために普段は頭巾をすっぽりと被り、店の外には滅多に出てこない引きこもりだ。そんな和香だが、性格は明朗活発、頭脳はくるくるとよく回転し、事件解決へ向けて笙之介に何度もヒントを与えていくことになる。おきゃんな娘とは和香のような娘のことを言うのであろう。

本書は、中編で構成されておりそれぞれが独立した話となっているが、伏線はもちろん張り巡らされている。その伏線は完全に回収され、その回収が始まるとぐいぐいとパワフルに引き込まれていくのは、いつもの宮部ワールドだ。物語に引きこまれていくにつれて、深く大きな闇が読者の背中に張り付いていく。それは、笙之介と和香が真相に迫れば迫るほど、同時に破滅もが迫ってくる事を意味している。下巻に突入すると、さらに物語は急加速していく。何かの大きなものを失う代わりに、笙之介と和香が桜の下をともに歩く世界へ向かって。

最初に僕が危惧していたことに、時代劇特有の読みにくさがあったが、それは全くの杞憂だった。本書はいつもの様に、読みやすくウイットの効いた文章だ。〜でござるを代表とする武士言葉も、すんなりと頭に入ってくるから不思議だ。端々に登場する江戸時代の文化風俗も解説はないが、ちゃんと分かるし風流を感じる。笙之介と和香以外のサブキャラクターも全員が極めて魅力的な人物ばかりでここには書ききれない。彼らも友人・知人として、笙之介の心を支え、事件解決に協力していくことになる。

本書も宮部ワールドである以上は、完全なハッピーエンドには成り得ない。ほろ苦さや切なさよりも、さらに深い重い負の要因が絡んでくる。しかし、それをプラス・マイナス・ゼロまで浮上させる江戸の人々の優しさは、確実に保証されている。甘ったるく温かいだけの癒やしの物語ではなく、冷水のシャワーで背筋がしゃんと伸び、若干の震えとともに熱いホットウイスキーを味わいたい、そんな形の癒やしを求める人に、特に強く本書をお勧めする。人生は甘くないけど、捨てたものでもないのだ。

これは余談だが、冒頭に書いとおりに僕は宮部みゆきの時代劇を読んだのは本書が初めてだ。「何で今まで読まなかったんだ!」という後悔よりも「これから未読の宮部時代劇をたくさん読めるぞ!」という喜びのほうが遥かに大きい。2016.4.22 読了。