2015. 12. 12、ジュンク堂書店池袋店にて購入、紙媒体。軍事関係に興味のない人々、つまり現代におけるほぼ全ての日本人に「知っている第二次大戦の軍艦はなんですか?」という問いの答えを、ここを読んでいる読者様は即答できる筈だ。答えは、言うまでもなく「戦艦・大和」である。日本人にとって、軍艦=大和なのであり、軍艦とは此即ちセンカンなのだ。また、戦闘機=ゼロセンであり、現代の航空自衛隊の主力戦闘機であるF-15J イーグルを知っている者はほぼ皆無であろう。この現代日本人に特異的で異様な軍事アレルギーについて書くと、単行本を何冊刊行できるかわかったものではないので、ここでは割愛し、本題に戻る。
先の大戦において我が国で活動した軍艦はセンカンのヤマトだけではなく、駆逐艦(くちくかん)という艦隊を構成する上で欠かすことのできない艦が、センカンの何倍もの数で働き、傷つき、そしてほぼ全てが撃沈されていった。もちろん、駆逐艦にも多くの乗組員が搭乗しており、結果的に多くの命が失われていくことになった。
本書は、その駆逐艦の1人(あえて人称代名詞で呼ぼう)であり、太平洋戦争のほぼ全ての、地獄に等しい艦隊戦に参加、ただの一度も大きな傷を負うこともなく戦後まで生き抜いた奇跡の艦である「雪風」の生涯を克明に記した、恐らく日本で唯一の書である。

本書のレビューに本格的に入るまでに、今一度だけ駆逐艦について簡単に記しておきたい。日本で唯一、誰にでも知られている軍艦・大和の大きさは、64,000トンであるのに対し、「雪風」を含む陽炎型駆逐艦は、2000トンだ。大和が60kgの大人であるなら、おおよそ未熟児の体重しかないことになる。小さな小さなフネだ。大和のように敵を粉砕する巨大な大砲を持っているわけでもなく、空を支配する零戦のような戦闘機を飛ばす能力もない。小さなその身体は、ほんの少しでも敵の砲弾が当たればあっけなく沈んでしまう。
しかし、その小ささゆえに駆逐艦は、大変に素早く航行でき、敵の攻撃を回避することができる。また、実は大砲の何倍もの威力を持つ日本独自の武器である酸素魚雷を装備していた。この酸素魚雷は必殺の武器であり、たとえ戦艦といえども当たったら致命傷となりうる。しかし、その射程は大砲より遥かに短く、当てるのには夜間に忍び寄り、全速力で突撃する必要があった。この酸素魚雷による「敵の懐に飛び込む」ことを前提にした戦法で「雪風」たち駆逐艦は、太平洋戦争に臨むことになる。

本書は、純然たるドキュメンタリーであるから、敵の懐に飛び込む勇ましい戦闘シーンも淡々と描写されている。さらに、戦争においては避けては通れぬ人の死、すなわち戦死についてもクールに書かれている。いたずらに武勇を盛り上げることもなければ、戦争の悲惨さを異常に強調することもない。中立性は大変に保たれているといえよう。その一方で、感動のドラマや熱くたぎる戦闘シーンを期待する人には拍子抜けするかも知れない。繰り返すが、本書はドキュメンタリである。決して「冒険戦記」ではないし裏表紙に書かれている「戦記文学」でもない。
文章は、読みやすい部類であり、読書に慣れていない人でもストレス無く読み進めることができるだろう。読書にあたって、唯一ひっかかる箇所があるとすれば、頻繁に出てくる人名と所属である。著者が実際に太平洋戦争に従軍した海軍軍人であったためであろう「海軍兵学校XX期のYY少将は、ZZ期のAA中佐の教官を務めていた」といった人と人の繋がりを示す文章が煩雑に感じるかもしれない。第二水雷戦隊所属・第16駆逐隊といった所属も読みづらいかもしれない。しかしその場合は、読み飛ばしても内容を理解し楽しむ上で全く問題はない。
本書の主人公である「雪風」は凄まじい激戦を戦い抜き、ほぼ無傷で戦後まで生き残ることに成功した輝かしい武勲から「奇跡の駆逐艦」あるいは「幸運の駆逐艦」と賞されていることは前述の通りである。しかし、その武勲は決して運が良かった「だけ」ではないことが読み進めていくにつれ、理解できていく。

最も多くの描写がなされているのが、乗組員たちの優秀とユニークさだ。「雪風」には、一癖も二癖もある名物艦長たちが次々と着任してくる。「うんにょー」が口癖の愛嬌たっぷりな薩摩男児・飛田健二郎中佐、クールな美男子の菅間良吉中佐、そして「おヒゲの艦長」こと豪放磊落な寺内正道少佐である。この艦長たちの元で「雪風」の乗組員たちは、飛び抜けた練度を獲得していった。現代艦に比し、まだまだ人間の手によって勝敗の多くが決定される当時、乗組員たちは以心伝心を通り越す神がかり的なコンビネーションを発揮し、何度も何度も敵の攻撃を紙一重でかわし、幾度も必殺の酸素魚雷で敵を撃破していく。
戦闘時の動きが優れているだけではない。乗組員たちの雰囲気が、抜群に良かった事もひしひしと伝わってくる。その雰囲気は、ぴしっとした張り詰めた軍人たちというより、これから壮大な命がけのいたずらを仕掛けようとワクワクしている「いたずらこぞうたち」の集まりのようだ。一言で言えば、アットホームということになるのだろうか。戦闘のない上陸時や休憩時には、明日死ぬともわからぬ戦況にもかかわらず、(自暴自棄ではなく)音楽をかけ、ビールを痛飲し、南国の果物を食べ、魚釣り大会が催され、太平洋の島々の風景を楽しむことさえしている。こんな事をしているのは「雪風」の他は、ほんの数艦のみであり、その様子は雪風乗組員というより「雪風一家」がふさわしかったという言葉に深く納得した。

次に印象に残ったのが、戦局が進むにつれて強化されていく「雪風」のハードウェアである。開戦当初の「雪風」は量産タイプの陽炎型駆逐艦であり、ごく普通の性能だった。ところが、前述した名物艦長と卓越した雪風一家によって、際立った武勲を打ち立てていく。これに目をつけられて、上層部から最新鋭の装備を優先されて提供されていくことになる。電探(レーダー)、逆電探、ソナー、新式の対空機銃などその改装は3度以上にもおよぶ。

最後に「幸運」であろう。本書は、その描写が淡々としているがゆえに、当たった爆弾が不発弾であったり、魚雷が数センチ先をかすめていったり、砲弾が雨あられのごとく降ってきても決して「雪風」には命中せず、ワイヤーで繋がれて身動きできない状態にもかかわらず「雪風」の対空機銃が次々に敵機を撃墜することが当たり前のように記述されている。勝負の、生死の、最後のほんの少しの割合は、やはり運が決したと認めざるをえない。そして、その幸運は雪風一家とハードウェアによって呼び寄せられ、裏付けられたものなのだろう。

本書は、光人社NF文庫という「軍国主義者たちによる本」と誤解されそうな出版元ではあるが、冒頭部分で記したように描写の中立性は保たれている。思想、イデオロギーといったものは一切交えていないドキュメンタリだ。センカンのヤマトだけしか知らず、軍事には全く興味が無い読者諸氏も「雪風」がその小さな小さな身体で、激戦を必死になってくぐり抜け、最後は幸運の女神にキスを注がれる姿を「記録」として読み進めることができる。
また、最後になったが大成功を収めたゲーム、艦隊これくしょん(艦これ)のプレイヤーたち、即ち提督たちが読めばよく知っている艦(特に駆逐艦)の名前が次々に登場してくるのは当然だ。駆逐艦たちの史実を学ぶのに、最適な本といえよう。2016. 1.29 読了。