hamtaroさん経由で、4n年前を振り返る。

  • 1996年8月末・彩の国。今でも十分に馬鹿だが、当時は常軌を逸した馬鹿だった。大学院で行なっていた研究テーマは、既に発表されている論文の塩基配列を「一致するかどうか」調べるというものだった。これ、ようするに教授から「お前は気に入らないから学位はやらない。とっとと出て行け」という明確なメッセージだったのだろう。もう1人の同級生の男子には教授が発見した新種の塩基配列を調べるというテーマが与えられ、彼だけ某巨大研究機関で研修を受けて技術を身につけるという特別待遇を受けていた。だが、毎日が楽しかった。馬鹿だから。バイトもやってたし、サークルにもまだ顔を出して先輩ヅラしていた。ずっとこのままの世界が続くと思っていたのだろう。完全に教授を信じきっており、命令された事をこなしていれば学位は貰えると盲信していた。なお、特別待遇を受けていた彼は、1ヶ月後に発狂し精神病院に通院・退学する。残されたテーマは渋々とわたしにバトンタッチされた。
  • 2000年8月末・世田谷宙域。現在の職場に内定を貰っていたが、諸事情により仕事開始が4月から7月に伸び、そして連絡が途絶えていた。内定破棄になったのだろうと達観していた8月末。身分は母校の研究室の副手。この副手という身分は、給料は出ない。ポスドクでもない。就職がなく履歴書に穴を開けないために考えだされた身分だった。仕事は研究室の運営補助。自分自身も研究していい。収入はゼロのため、貯金を切り崩していた。時折、大ボスが「バイト代」をくれた。だが、毎日が楽しかった。馬鹿だから。研究室の学部生・院生に先輩ヅラする事がレゾン・デートルというクズの中のクズだった。なお、10月に唐突に現職場に召喚され、社会人となる。
  • 2004年8月末・彩の国。この年の春に2人暮らしとなっている。「完璧に」幸せだったか。否である。他人と暮らすのがこれほどストレスになるとは想像できなかった。馬鹿だから。現職場にて、3年半の月日が経っていた。しかし査読ありの論文はゼロだった。この年に、今でも敬愛する上司(日記中では元リーダと表記している)と出会っている。アメリカ帰りの彼の考え方、仕事の進め方、人との付き合い方は、今現在のわたしの大半を支えている。生まれて初めて出会った「先輩」だと思う。
  • 2008年8月末・彩の国。この年の春に、リーダは別チームに移籍。元リーダとなる。査読ありの論文数は急激に増えていた。ようやくこちらの世界が少し理解できるようになったのだと思う。研究はなんとか出来るようになっていたし、准教授の内々定が出ていたので未来はとても明るかった。応募書類を書くのに忙しかったのがちょうど8月末だったと思う。なお、翌年に准教授戦に敗北しすべての未来を奪われ歩く死人となるのだが、この時は知る由もない。
  • 2012年8月末・彩の国。相方が悪性腫瘍疑惑。喚き散らす奴さんの扱いに慣れてきて、数度に渡ってだまくらかし、検査を受けさせる。結果はオールネガティヴ。職場では、未来はない。後は壊れるだけだ。待っているのは泥の棺桶。Natureに載ろうがScienceに載ろうがCellに載ろうが、未来はない。しかし黙って壊れることを選択しなかった。価値観をFuckかFuckじゃないか、CoolかCoolじゃないかに改めて、暴れることを辞めていない。馬鹿だから。