この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた

この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた

2016.1.3、紀伊國屋書店ウェブストア(Kinoppy)にて購入、電子媒体。世界の破滅、人類の存続危機、文明の崩壊。この一連のテーマは、もはや古典となっており、数多くの作品あるいは論文が発表されてきた。映像化作品も巷に溢れ出ており、CGを多用したSF映画やアニメーションなどは食傷気味でさえある。しかし、崩壊からの再生をテーマとする例は、極端に少ないように感じる。
本書は、タイトル通りに崩壊から文明レベルを2016年現在により近づけるようにするには、どうしたらいいのか? という思考実験書であり、またわくわく感に溢れたエンターテイメント本でもある。一昔前に流行った柳田理科雄氏の空想科学読本シリーズに似ているといえば、分かり易いだろうか。

もし、僕らが当たり前に送っている日常生活が、ある日突然に終焉を迎え、そこから立ち直る事はできるのか。少しだけ想像してみると面白い。例えば、僕は昨日、牛丼チェーン店の持ち帰り弁当で休日の寂しいが優雅な昼食を堪能した。貴方は果たして牛丼を全て失った状態から作り出すことができるだろうか? 薄切り牛肉と玉ねぎをスーパーで買うことができない世界になってしまったという前提の元に、だ。

安くてペラペラの牛肉でも手に入れるためには、ウシを育てる必要がある。ウシを育てるには大量の飼料が必要だ。牧草、とうもろこしはそこらの土壌に種をまけば、ウシ1頭を養う分量だけ収穫できるわけではない。大量の肥料でようやく収穫量を確保しているのが現在の農業だ。では、肥料はどうやって作るのだろうか? 僕らの排泄物は、あまりにも不純物が多すぎて現代農業には力不足なのだ。化学の知識・技術を使って合成した肥料、化学肥料がなくてはウシを養うことはできない。畑を耕すのに使う道具? もちろん、それも失ってしまったのだ。クワやシャベルを構成する金属の精錬はできるだろうか? 仮に、ウシさんを「拉致」、玉ねぎを「略奪」で済ませたとしても、牛丼がなかなか冷めない便利で軽い器、厚手の紙容器は作ることができるだろうか? 器ひとつ分の紙を作るのには、どれだけの木を切り倒さねばならないのだろうか。手で切り倒す? もし、チェーンソウを使うなら事態はより深刻化する。チェーンソウを構成する複雑な部品をどうやって調達するのか。心臓部である小型のエンジン、内燃機関をどうするのか。ごくごく乱暴な想像だけでも、牛丼を用意するのは、文明が崩壊してしまったら到底無理なのだ。ああ、さらば吉野家、愛しき松屋

本書は、宇宙生物学という怪しげで魅力的な研究に従事しているイギリス在住のルイス・ダートネル氏が、文明の崩壊をじっくりと「設定」することからスタートする。そう、これは思考実験書なので、現実には起こりえないであろう状態からの再生を考えている。野暮なツッコミは無しにしようぜ?と最初からお断りしている。よって、真面目に深刻に文明の再生方法を考えようとする読者たち、とりわけ研究者という職業の方々は、文系・理系を問わずに、肩の力を抜いて楽しむべき本だ。

最初の設定からして、かなり都合がいい。多くの作品では、崩壊は2つのタイプとされている。社会秩序が破壊され、残された少ない資源を人々が奪い合う「マッドマックス型(日本では北斗の拳型だろう)」と非常に致死率が高いウイルス等のパンデミックに襲われて、ほぼ全ての人類が死滅するが、文明はある程度残されている「アイ・アム・レジェンド型」だ。本書では、マッドマックス怒りのデスロードとなると話が進まないので、アイ・アム・レジェンドからスタートすることになる。人類を襲った崩壊は「大破局」とする。

非常にリアルに感じるのが、残された文明である巨大なビル、インフラ、化石燃料、食料、衣服品、医療品などなどの猶予期間が細かく語られることだ。すぐに文明を再生させなくても、僕らは当分の間は残された遺産で楽しい文化的な生活を享受できるかも知れないのだ。前述の稚拙な僕の想像である牛丼だって手に入れることができるだろう。むしろそれどころか、文明がある程度残されている状態で他人がいなくなるのだから「ヒャッハー状態」になるかも知れない。もちろん、それは長くは続かない事を僕たちは知っている。完全に遺産を食い潰す前に、ビルを解体して材料を切り出し、自動車からバッテリやライトなどの部品を抜き取り、作物の種をキープし、そして、それらよりもずっと大切な物、即ち知識の確保に努めなくてはお先真っ暗となる。この知識は、PDFファイルとなってiPadで読める状態では全く持って無力だ。電力を供給するのに誤魔化して使っていた自動車のバッテリはやがて干上がるのだから・・・。もちろん、長く使えるものは十分に活用することで、一から文明を築くことなく再生できる例が出現する可能性も高いという。さまざまに異なった文明レベルの技術と応用方法が組み合わさった「スチームパンク」の物語に近い世界になるかもしれないのだ。これを文明2.0と言っていいのかどうかだが。

前半で、大破局による崩壊から猶予期間を経て、文明再生への道筋を辿る「総論」が終わると、後半の「各論」が始まる。農業、衣服、材料、医療、動力、輸送、伝達、応用科学、時間・場所と事細かに語られていく。ここでは、鉄ひとつを精錬するのにも恐ろしいほどの多くの技術が応用され、取り込まれている事がよく分かる。全て初めからの解説となるので、本来の目的である文明の再生からは離れていき、自然現象の解明から法則性を考えそれを実際の文明に戻し応用していく、つまりは技術から科学へと時間軸が戻されていく。何から何まで原理図に基づいた解説のため、さながら超粘着質のザ!鉄腕!DASH!!が彷彿され「そこからやるんかいっ」と思わず突っ込んでしまうことも多かった。
また、各論では生物・化学・物理の中学校レベルの知識で話が進んでいくため、読者の理科力が試されることになる。貴方の苦手な分野はなんだろうか。僕は、恥ずかしながら機織り機の動く原理と無線通信の原理は、ほぼギブアップしてしまった。物理の基礎知識(中学レベル)が欠落していたのだ。

本書は、冒頭でも書いたようにエンタメ本の要素も強い。そのため、実際の世界に当てはめるには無理がある。この事を著者はよく理解しており、大破局からの社会秩序と政治経済の崩壊は敢えて無視している。さらに、2016年に相当する文明を再生させることで残された人類が幸福になるか否かという議論も放棄している。これらの要因を踏まえて、人類の未来を考える本ではないのだ。あくまでも、思考実験に過ぎず、そしてその実験はとてつもなく面白い。
海外科学ノンフィクション(フィクション要素も強いが)ということで、各論の箇所でくどく読みづらい箇所もあるが、その場合は読み飛ばしてしまっても、全体を楽しむ上では問題無いだろう。楽しむのに必要とされる理科知識は中学生レベルなので、理解できなかったら人生をやり直す箇所が判明するかも知れない。しかし、多くの人にとっては問題無いだろう。2016.2.28 読了。